泣いて、泣いて、目が溶けるんじゃないか、ってくらい泣いて、腫れた目で朝
を迎えた。
鏡で確認した見るも無残な姿。でも、あたしは何も無かったかのようにいつも
通り動き出した。
昨日まではいた川上の姿は見えない。明らかに泣き腫らした目のあたし。家族
は何があったか聞くことも、見なかったこともできずに、気まずそうにしてい
る。それもきっと数日のこと。すぐに何も無かったかのように時間は流れてい
くんだ。
「まいどどうもー」
最後のお客さんを送り出して、暖簾を閉まって店じまい。
ばあちゃんの膝の上で、姪っ子があたしを不満げに見上げる。
「さわ、おーじどこ?」
その言葉で辺り一体が凍りついた気がした。触れていいのか、触れないほうが
いいのかと一日ピンと張り詰めていた空気がギリっと締め上げられたような気
配。『おーじ』はキラキラ爽やかスマイルに飛び上がって喜んだ姪っ子が川上
につけたあだ名。子供は空気読まない、って荒業を使うんだよな・・・。
「おーじはねぇ、馬車に乗って帰りましたよー」
何でもないように答えてみたけど、なんでもなくはできなかった。
「ちょっと、どういうことよ!あんた迎えにわざわざ来てくれたのに、追い返
したの!?」
「あー、さわがまた行き遅れる・・・」
「お義姉さん、もったいない・・・」
「まあ、なんていうか、そのー、あれだな、縁がなかったっていうか、
あー・・・」
慌てて嘆いて、うちの家族はとてもいそがしい。
「さわちゃん、いいのかい?それで・・・」
ばあちゃんだけが静かにあたしの気持ちを聞く。
いいのか、ってそんな事何度も考えた。けれど、いいとかよくないとかの話
じゃないんだもの。あたしじゃだめなんだもの。
そんな泣き言、ここで言うわけにはいかない。
「いいのよー。あんなシュッとしたいけめんさん、あたしには荷が重過ぎる
もん」
あはは、って乾いた笑いでなんとか話を終わりにしようと思った。けれど、
ばあちゃんの目はじっとあたしを見て終わりにはしてくれそうにもなかった。
「あ、澤子電話鳴ってる」
どうやって言い訳しようか、と考えていたら、カウンターに置きっぱなし
だった携帯電話が助けてくれた。慌ててお母さんが差し出す携帯電話を取る
と、奥に引っ込む。
「もしもし。」
『あ、澤子?今大丈夫?』
「久美子?久しぶりー、元気だった?」
久しぶりの友達の声に何とか気分を切り替えるも、すぐに逆戻りになった。
『あんた、川上さんの居所知ってる?』
「・・・その男の話はできる限りお断りしたいんだけど」
慌てて足を突っ込んだのは運悪く、弟の健康サンダルだった。走りづらいし、
ブツブツが足に痛いし、で悪態を盛大につく。
「もうっ!痛いんだってば!」
足からもぎ取って、両手に持って裸足で走る。
「どこにいんのよ!あの男!」
久美子は大層慌てていた。
川上から課に契約成立のメールが届いたそうだ。それに添えられていたのは
事細かに作り上げられた指示書で、そのまま開発に入れるくらいの細かさだっ
たとか。
その直後上司宛に連絡が入り唐突に「しばらく休む」と告げたそうだ。
それから音信不通。それが先週の話だって。
ろくに休みも取っていなかったヤツのことだから、当然のように有給は有り余
っている。けれど、若手社員の指導とか他の課との折衝とか大半を川上がこな
していたから、当然残された部下は混乱。ついでに『川上失踪』の噂で混乱は
さらにエスカレート。
あたしも混乱していた。
何よりも仕事を優先させていた川上が。
仕事を投げ出すなんて、調整も無しにいきなり仕事を休むなんて。
どうしてそんなこと。
混乱した頭で川上の行き先を考える。
まだこっちにいるって確証は無かったけれど。
港?
公民館?
防波堤?
あたしは足の痛みも感じずに走り続けた。
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