「っはぁ・・・はぁ・・・み・・・つけた・・・」
防波堤で優雅にビールを飲んでる川上を見つけたとき、安堵よりも怒りが浮か
んできた。
「おう」
「・・・おう、じゃない!あんた、何してんのよ!」
手に持っていたサンダルを容赦なく投げつけると、苦も無く受け取られて、
それがさらにあたしの怒りを助長させる。
「何、って澤にふられたから、自棄酒?」
「この、バカヤロー!」
もう片方を投げつけても、やっぱりパシッと、やつの手の中に収められるサン
ダル。
昨日、きっちり縁を切ったつもりだったのに、電話一本であたしを走らせる
この男に溜息が出る。
あたし、ものすごくバカみたいだ。
泣いて苦しんでようやく終わりにしたのに、この体たらくだ。
「・・・会社荒れてるってよ。大混乱だって。デスマーチだってよ」
「へぇそりゃー大変だ」
「・・・ちょー人事じゃない?」
「人事でしょ、会社のことなんて」
胡坐をかいたまま、ビールのプルタブを開けて、大層おいしそうに川上は
ビールを飲み干した。周りには同じように空けられた缶がゴロゴロ転がってい
る。走り続けた(10年ぶりくらいに全力疾走したわよ。こいつ探すのに)疲
労感が急に来て、あたしも隣座って勝手にビニール袋からビールを取り出して
プルタブを開ける。
「っていうか、澤ナチュラルにビール飲んでるけど、いいわけ?」
「何が」
「身体。大丈夫なの?」
「まー、あんまりよくないんだけどさ。ほら、自棄酒?」
川上は一瞬顔をしかめたけど、諦めたように溜息をついた。
「で、仕事投げ出して何してるの?川上係長様」
「・・・働き者の澤に負けてらんない、って仕事頑張ってみたら忙しいばっ
かりでさ」
「あたしより川上の方が働き者でしょ?」
「いやー?俺基本的に怠け者だから。澤が頑張ってなきゃ適当にするよ」
あの仕事の鬼が?って頭の中が疑問符でいっぱいになる。
「澤にろくに会えないで、
顔を見ることすらままならなくなって、挙句の果てに逃げられるし。
お陰で仕事も手につかないし。
もう仕事なんてどうでもいいや、って澤迎えにきたら、無理って言われるし。
そりゃ、自棄酒でもしてなきゃやってらんないでしょ」
「迎えに来た、ってそもそもそれがおかしくない?」
「なんで?」
きょとん、とあたしを見る川上に怒り再燃。
「だって、もう新しい彼女いるでしょ!?二人いっぺんに上手いことしよう
なんて!このエロジジイが!」
「新しい彼女って、誰?俺、澤一筋だけど」
「はぁー!?」
この期に及んでしらばっくれますか?そうですか。ああ、そうなんですね?
あたし全部知ってますけど、それでもとぼけるんですね・・・。
「総務の可愛い子。出張前にホテルで一泊してたでしょ?彼女、彼はあたしの
って断言してたよ。それに、あたしにも雄介を返して、って連絡きてました
けど。どうなんですかね、その辺」
やさぐれて、ビール煽って、一気に言ってやると、川上は心底びっくりした
って顔であたしを見つめる。
「それ、信じたの?」
「信じるでしょ。あんた否定しないし。目撃されてるし。あたし倒れたって
連絡しても一向に繋がらないし。
そりゃ新しい子とイチャイチャしてるんだもん、携帯切るよね」
そこまで一気に吐き出して、あたしの感情に拍車がかかる。どうせならずっと
不満に思っていたこと全部吐き出せばいい。あたしにはなくす物も、守る物も
何もない。今更何も怖がることは無い。
「それに、あんたあたしがさよならって言ったのも笑って了承したじゃない。
それを今更、別れるつもり無いとか、そもそも別れてないとか、有り得なく
ない?あたしはあんたの都合のいい女なんかでいらんないのよ。
他の女と共有するなんて、真っ平ごめんだわ。
二兎を追う物は一兎も得ずっていうでしょ。あの可愛い子だけで満足したら
いいじゃない。
だからさっさと帰ればいい。
あたしはここで静かに暮らすのよ。あんたなんか要らないんだから、」
「さーわー」
ペシっておでこを痛みが走る。夢中で喋っていたから川上の手をよけることも
止めることもできなかった。
「聞けって」
ぽかんと見つめると川上は心底優しくあたしのおでこに唇を落とした。そこ
からじんわり熱が広がる。
「澤が倒れた時、連絡付かなかったのは謝る。
相談に乗ってくれって言われて、空港近くのホテルの押しかけてきたのは
あの子。
でもラウンジで話し聞いて、それだけ。
酒携帯に零されたから壊れて繋がらなくなったのがその後連絡付かなかった
理由。
それ以上は何も無い。断じて無い。ここまでいい?」
川上の目は逸らすことなくあたしの目だけを一直線に見つめている。
真摯。
誠実。
あまりにもまっすぐすぎて、そんな言葉すら浮かんできた。
『いい?』の言葉に促されるようにあたしは無条件にこっくり頷いていた。
その瞬間、川上の口元が安堵するように緩む。
「噂を放っておいたのは、出張帰りで出遅れた感じで否定するタイミング逃し
たから。
これは完璧に俺が悪い。ごめん」
ぺこん、と胡坐を掻いた膝に頭を下げる。
「澤の退社を止めずに、そのままにしてたのも正直心配してたから。オーバー
ワークもいいとこで俺はずっと澤に休んで欲しいって思ってた。実家に帰るな
んて予想もしなかったから、澤のマンションに行ったとき、呆然としたよ。
荷物ごと澤が消えてたから」
仕事の引継ぎと同時進行で荷物の整理もあたしはしていた。だから、退社と
ほぼ同時実家に逃げ帰って来れたんだ。
川上の顔を見て、改めてお別れなんて言えそうに無かった。せっかく決心した
ことがいとも簡単にくじけそうだったから。
「すっげー後悔したよ」
「・・・何に?」
「ん?澤をちゃんと捕まえてなかったこと。縛ってでも俺のそばから離さなけ
ればよかった。
あの空っぽの部屋を見たとき、全身の力が抜けた。
澤が俺のそばからいなくなる、なんて考えたことも無かった」
川上の顔が苦しそうにゆがむ。
本当なんだろうか。
彼がそんな風に思ってたこと。
こんな風にあたしを放さないように必死になってること。
夢なんかじゃないんだろうか。
信じてもいいの?
川上のことを信じてもいいの?
もう我慢しなくてもいいの?
「澤」
「澤」
「澤・・・」
名前を呼ぶたびに川上はあたしに触れる。頬に、髪に、唇に。
「・・・っ澤!」
最後には身体ごと川上の腕の中にいた。その腕は手加減無しにあたしを締め
付ける。
縋りつくように。
いなくならないように。
いいのかもしれない。信じても。
夢なんかじゃないのかもしれない。川上の言うことは、全て。
「澤しかいない。他の女なんて考えたことも無い。澤以外考えられないんだ
よ、俺には」
不安な気持ちが解けていく。
あたしも結局同じなんだ。川上しかいない。悩んでも泣いても苦しんでも、
最後には諦めきれずにまた戻ってきてしまう。それが全ての答え。
「言って」
「・・・何を?」
気が付いたら、あたしは川上の膝の上で、あたしの手は川上の広い背中に
回されていて。川上のシャツをしっかり握り締めていた。
「澤も、俺だけだって言って?離れないって、約束して?」
「・・・」
「言わなきゃ離さない。ずっとこのまま拘束するよ?」
それはたまらない、とあたしはゆっくり深呼吸する。少し速めの川上の心音と
かなり速めのあたしの心音。
重なって、一つに溶ける。
―あたしには、あなただけだよ。
吐息だけしか出ないあたしの声は、やっぱり上手く音にならなかった。
でも、あたしを拘束する腕がさらに強くなり、川上に伝わったんだ、って分か
った。
「っきゃあ!」
突然あたしを拘束したまま川上は立ち上がり、そのまま抱き上げて早足で歩き
出す。
「ちょっと!おろしてよ、っていうかどこに行くのよ!」
「今すぐやらせろ」
「はぁー!?」
「俺はものすごく飢えてんの!」
「って他に言い方無いの!?やらせろって・・・有り得ない!」
「うるせー!
俺と寝ろ!
やらせろ!
俺のもんだって実感させろよ!」
「ちょっと!」
「いっただろ!?すっげー、澤に飢えてんだよ!もう我慢なんかできねーん
だよ!」
珍しく余裕の無い川上に、思わず苦笑が零れる。
すれ違って、傷ついて、傷つけて。
それでもあたしは川上と離れることはできない。きっと、川上も。
心の中で、あたしはこっそり呟く。
そろそろ覚悟しますか。
だから、あなたも覚悟してね?
あたしは結構しつこいんだよ?
今更なしになんてできないんだよ?
ずっと、ずっと、一緒なんだから。
抱き上げられた腕の中で見下ろす川上のつむじにあたしは誓いのキスを一つ
落とした。
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