朝が来て、お店手伝って、パソコン教室に行って、散歩して、寝て、起きて、
朝が来て、お店手伝って・・・。
毎日同じような生活が続く。
なかなかいなくならない川上は無視。いないものとした。口も利かず、見るこ
ともせず。
けれど、散歩の途中気づけば少し後ろを歩く足音や、店のテーブルでばあちゃ
んとお茶を飲んでいる姿、帰っていく後姿に焦れるのはあたしだった。
気づけば川上が尋ねてきた日から1週間が経っていた。
今日も夕方から散歩に出かける。港沿いに海面を見ながら歩く。潮の匂い、
冷たくなった風。いつもだったらあたしの癒しになる物がちっとも役に立たな
い。それは後ろを付いてくる足音のせいだ、ってことは分かっている。
後ろから聞こえる、鼻歌にあたしの我慢の限界が来た。
「川上係長」
「・・・係長って、澤は仕事辞めたでしょ?その呼び方はどうかなぁ。それに、
お前と俺の関係でそれは無いと思うよ」
関係。
元同僚?元恋人?何でもいいけど、あたしは背後にいるこの男と親しくする気
は、無い。
「どうでもいいです、そんなこと」
「ひどいなぁ」
見なくても分かる。きっと、ちっともひどいなんて思っていない顔でヘラヘラ
笑っているんだろう。
「どうして、ここにいるの?」
「だから、言ったでしょ。澤に会いに来た、って」
「だからっ!なんで会いに来たのよ!」
「だって、会いたかったから」
何でも無いことのように言う口ぶりに、思わず振り返ってしまう。
「別れた女のところに会いにくるなんてどうかしてる!
そんなことする人じゃなかったじゃない。
総務の女だか、秘書課の女だか取引先の人だったか知らないけど。あんたな
らより取り見取りでしょ?
こんな辺鄙な土地の別れた女なんて放っておいて、さっさとそっちに行けば?」
「・・・澤」
久しぶりに触れた川上の手はあたしの二の腕にギリリと食い込んだ。
「っ痛い!」
「澤・・・。澤っ」
払っても、もがいても、川上の手はあたしから離れない。食い込んで、逃れら
れないまま、川上の胸に身体を押し付けられる。ギュッと目をつぶって頬にあ
たった川上の心音は信じられないくらいの速さで打っていた。
「俺は、別れたつもりは、無いよ」
「え・・・」
「俺は、絶対に澤と別れないよ。逃がさないから」
分かってるでしょ、と胸から直接聞いた声は、聞いたことが無いくらい擦れて、
震えていた。
それから川上は容赦しなかった。
朝、昼、夜。仕事はどうしたの?って疑問に思うくらいしつこくあたしの前に
現れる。あたしが仕事で忙しく立ち働いているときは、それを目で追って。散
歩には必ず着いてきて、抗う事も許さずにあたしに触れる。手に、頬に、
髪に。
「寄るな!触るな!ベタベタするな!っていうか、帰れ!消えろ!いなくな
れー!」
「澤、さすがにそれ、ひどいって」
口では言いながらも、一向に響いていないようにあたしに触れる手は離れない。
振り払っても振り払ってもまた戻ってくる。
この辺りではすっかり噂のお二人さん、になってしまった。お店でも、近所の
おばちゃん達にも、教室の生徒さん達にも皆にあの「いけめんさん」との関係
はどうなっているのか、と聞かれて冷やかされて、囃し立てられる。
うんざりしている。
けど、それと同時に戸惑ってもいた。
こんな風にストレートに表現されたことは今まで一度も無かったから。気が付
いたら、川上の意のままにされて、手のひらで転がされてる、そんな感じだっ
たのに。
会いたい、触りたい、一緒にいたい。
ストレートに言われて、そのとおりに実行される。勘違いしそうになる。信じ
てしまいそうになる。あたしは川上に必要とされてるんじゃないか。川上に愛
されてるんじゃないか、って。
大事にされていると感じていたときの事だけを思い出して、川上のところに戻
ってもいいのかもしれない、と思ったり。けどあたしが大変な時にこいつは他
の女と一緒だったんだ、って打ち消して。でも、何か事情があるのかもしれな
いし、なんてまた揺れて。
あー、頭の中がぐちゃぐちゃだぁ。
「何してんの?澤」
防波堤に腰掛けて、体育座りで唸っていると、ほら、と差し出されたのはペッ
トボトルのお茶だった。以前だったらカフェイン中毒のあたしにはコーヒー、
って決まっていたのに。あたしが倒れたこと知ってるんだろうな。その原因も。
知らないはずは無いだろうけど、こうやってさり気なく気遣われるとものすご
くくすぐったい。
俯いた顔を上げられなくて困る。きっと、あたし、今絶対に顔赤い。
「澤、顔上げて」
「いやだ」
「こっち見て」
「いーやーだ」
「ほんとにもう・・・」
可愛くない、って言われるんだろうって思っていたけど違かった。
突然、力強い腕にくるまれる。すっぽり川上の腕の中に納まって、強く強く抱
きしめられる。
「・・・かわいい。ほんとに、すっごいかわいい」
耳元で囁く声に背筋がゾクっとする。そのまま、もがくこともできずにあたし
は川上の腕の中で固まる。
「・・・澤、痩せたね。また細くなった」
いつを基準にしているんだ。会社を辞める前も一月以上ゆっくりと会う時間も
無かったのに。時たま社内ですれ違ったり、ミーティングで顔を合わせるくら
いで、あたしをちゃんと見ている素振りなんてなかったのに。
「澤。ごめん」
擦れる声。
「もう、離れないから」
熱い息。
「ずっと、そばにいるから」
もう、抑え切れないかもしれない。
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