目覚めた病室。
何が起こったのか分からなかった。
傍らには、他部署にいる友達・久美子の顔。
何にも分かっていないあたしに、久美子は心配そうに、過労と急性胃腸炎で倒
れたのだと教えてくれた。
そりゃ、あんな働き方してたらそうなるわよ、って久美子はしかめっ面をした。
担当医師を呼んでくれて、生活状態についていくつか聞かれて。
正直に答えたら、嫌味な程の満面の笑みで言われてしまった。
「あなた、そのままの生活続けてたら、死にますよ?」
後で聞けば、そんなことより会社に戻っていいか、と尋ねるあたしをちょっと
脅したかったらしい。けど、本当に早死にはすると思うよ、とあっさり言われ
てしまった。
仕事の事が気になって気になってしょうがなかった。量も質も大変だし、納期
もギリギリだし。それよりも何よりも川上が取ってきた仕事だったから。あい
つが取ってきた仕事だったから。
久美子の「病院から出したら、また同じことの繰り返しだから」と言う言葉も
あり、あたしはそのまま最低でも2週間の入院を宣告された。チームリーダー
からも休めという命令が来ていて、あたしはそれに従うしかなかった。
保険証、生活用品、その他モロモロ、用意しなければならない。久美子に頼む
のも申し訳なくて、川上に頼もうと思った。あいつなら、物の場所も把握して
いるし、合鍵も持っているはずだし。そう思って、久美子に川上と連絡を
取って欲しい、と頼む。社内であたしと川上のことを知っている数少ない人間
だ。すると、一瞬久美子の顔が歪んだ。
でも、すぐに何でも無い顔をする。
「それがね、川上さん出張中だからか連絡取れないのよ」
そう、と返して川上らしくない、と思った。
繋がらない携帯なんて持つ意味無い、とまで豪語していて、たまの二人で過ご
す休日でも引っ切り無しに仕事の電話が入っていたのに。
けれどあたしも薬でぼやけた頭で、まあそんなときもあるよね、と大して気に
も留めなかった。
それから数日経っても、川上からは何の連絡も無かった。久美子に聞いても
出張中だから、といつも同じ返答で。
だんだんと、さすがにおかしいなと思い始めるようになって。
二人とも仕事に追われて、ゆっくり過ごす時間なんてほとんど無かった。付き
合ってるっていえるのかな、と不安に思うことも何度もあった。それでも仕事
では容赦ないけど、二人になれば川上はいつでも優しかったし、あたしの体調
をいつも気遣ってくれて。女性との噂もチラホラあったけど、それも川上は否
定していたし、あたしも気にしないようにしていた。
でもこれはおかしい、と久美子を問い詰めた。そんなことしなければ良かった
のに。
「川上さん、総務の女の子と一緒だったよ。澤子が倒れた日」
『ホテルに二人で入っていくところを見た』
『翌日から川上さん出張だったからどういうことか聞けなかったけど、相手の
子は何も否定しなかった』
『今じゃ社内みんな知ってる』
目の前がガラガラと崩れて落ちていった。そして何も無くなって気が付いた。
あたし、今まで何をしていたんだろう。
自分に自信が無くて、川上と付き合っていることが信じられなくて、それでも
なくしたくなくて、あたしにできることは何かって考えて、仕事しか無いって
しがみついた。
川上が取ってきた仕事を必死でこなして、どんなに厳しくても川上の要求する
ことには全部こたえて見せて。
それしか川上にあげられるもの無いからって必死で必死で。
勝手に仕事をあたしと川上の絆にしてた。
全部、あたしの空回りだ。
一人善がりだ。
ああ、なんて無意味なんだろう。
そう、気づいた。
そうしてあたしは、仕事も川上も全部捨てることにした。
「・・・さわちゃん、風邪ひくよ」
ばあちゃんの温かい手が頬を拭う。泣きながら畳の上で眠ってしまっていたら
しい。何度も何度も頬を撫でる手が温かくて、しがみついた。
「なぁに、さわちゃん。甘えたさんだねぇ」
手だけじゃ足りなくて、正座した膝にしがみついて顔を埋める。あたしを守る
ように優しく包んでくれるばあちゃん。
それはあたしのようやく手にした穏やかな日々の象徴みたいなものだ。そこに
川上は要らない。
あたしには川上は要らない。
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