「ばあちゃーん、今日も天気がいいねぇ」
「ほんとうだねぇ、さわちゃん」
縁側で繕い物をするばあちゃんとゴロゴロ寝転がる私。至福の時である。
安部澤子28歳。
独身。
家業手伝い&パソコン教室講師。
行かず後家と言われる女。
「こんなにのんびりしてていいのかなぁ」
「さわちゃんは都会でいっぱい働いてきたんだから、ちょっとくらいのんびり
したってバチは当たんないよぅ」
「そうだよねぇ」
中堅どころのシステム会社でSEをしていた。寝る間も惜しんで仕事をした
結果、体調不良でぶっ倒れた。
もう限界と退社し、Uターンしたのが3ヶ月。毎日がのんびりゆったり過ぎて
いく。
追われる仕事も、心休まらない喧騒もここには何も無い。
「澤子ー!あんた、お教室遅れるわよ!ばあちゃん連れてとっとと行って
来な!」
家業の定食屋の方からお母さんの大声が聞こえる。茶の間と廊下を隔てて
いるのにその声は大変明瞭に私まで届く。それもまたいいもんだな、と
しみじみ思ったりして。
「ばあちゃん、行こうか。港通って散歩しながら行こう」
「そうだねぇ。そうしようかねぇ」
よっこらしょ、と立ち上がるばあちゃんに手を貸して、そのまま手を繋いで
家を出た。
血反吐を吐く思いって言うけど、リアルで血反吐を吐いた時(吐血とも言う)
私は狭いトイレの個室で盛大に笑った。ほんとに血反吐吐くんだ、って。
3日間トータルの睡眠時間は5時間にも満たない。まともな食事ってなん
ですか、って感じで10秒チャージみたいな食べ物と、栄養剤でドーピング。
座りっぱなしの身体は、肩や腰だけでなく全身がバキバキ。コーヒーと栄養
ドリンクのお陰で胃は慢性的に痛み、目眩に吐き気、頭痛、全身ぼろぼろ、
ボロ雑巾のようだった。
非常に厳しい納期の開発案件は、いつ誰かが倒れてもおかしくないくらい
煮詰まっていた。
ぼろぼろの身体を引きずって何とか自席に戻り、我が社でホープと言われる
システム営業部係長兼私の彼氏(の、はず)である川上に電話をかけた。
このままだと死ぬ、マジで死ぬから納期なんとかなんないんすかー、と
泣きつきたくて。
しかし、無常にも流れる、
『おかけになった番号は、電源を切っておられるか・・・』という冷静な
お姉さんのお声。
目の前が真っ暗になったのは言うまでも無く。
怒りで震える身体を何とか抑え、再びディスプレイに並んだコードを見たのが
最後の記憶。
目を覚ましたら、そこは病院だった。
「ばあちゃん、潮風ってやっぱり気持ちいいねぇ」
家から歩いて数分の小さな漁港を通りながら、ばあちゃんと手を繋いで歩く。
向かうは、ここから歩いて5分程の公民館。私はそこでパソコン教室の講師を
している。
朝からは家業の定食屋を手伝い(看板娘ってヤツ?)、週に何度か昼過ぎ
からは先生。じーちゃん、ばーちゃん相手にメールの送り方とか、
暑中見舞いの作り方、とかを教えているのだ。役場に勤める同級生から頼ま
れたのが先月の話。
カルチャースクールの先生、ってやつだ。
ばあちゃんなら家で私がマンツーマンしてもいいんだけど、やっぱりお年寄り
同士の交流も大事だと思うんだよね。
うん。
「あー、澤ちゃんやっときたよ」
公民館の教室に着くと、すでに生徒さん達はそろっていた。生まれた時から
私を知っているじーちゃん、ばーちゃん達。
放っておくと、昔っから澤ちゃんはのんびり屋さんで・・・なんて話が
始まってしまう。ま、それも今の私には癒しになるんだけどね。
「じゃあ、今日はこの前の続きからねー。あ、シゲさんは?え、腰痛が悪化?
あらー、大丈夫かなぁ」
あたしの生活は何年かぶりに静かに流れるようになった。
「ただいまー」
「あ、澤子、あんたにお客さん来てるわよ」
再びばあちゃんの手を引いて家に帰りつくと、お帰りも言わずにお母さんが
ニヤニヤした顔であたしに告げる。
お客?近所の同級生はほとんどがこの町から出ているか、あとは子供作って
結婚しているか。誰だろ、と首をかしげていると、
「店の方にいるから」
と、またまたニヤニヤしながらあたしを店に促す。手を引いたままのばあちゃ
ん共々、母に押されるように客人のほうへ向かう。
そこであたしが目にしたのは、
「かっ、川上!?」
テーブルについて、焼き魚定食(ご飯大盛り)にがっついている元・恋人だっ
た。
「よお」
「あらあら、シュッとした、いけめんさんだわねぇ」
茶碗片手に嫌味なほどさわやかに微笑む男と、イケメン俳優好きのばあちゃ
んの機嫌が良さそうな声。あたしは一人で、遠のきかける意識を保つのに
精一杯だった。
even if-top
next→