隙を見計らって忍び込んだ部屋は相変わらず乱雑だった。
机の上に散らばったメモや分厚い専門書。
脱ぎ捨てられたシャツ。
椅子の背もたれにかかっているのはしばらく前に付けていたネクタイ。
10歳離れた年上の幼馴染は今日も忙しく働いているはず。
普段は立ち入り禁止と言われている部屋も彼がいない間は入り放題。
無断進入なのは後ろめたいけれど。
彼が帰ってくる深夜には私は自分の家に戻っている。
これまでばれたことはないし、これからもばれるわけが無い。
絶対にあたしの物にならないんだから、少しくらい夢見させてもらってもいい
んじゃないか、なんて勝手な事を考えて今日もあたしは彼の部屋に無断で入
った。
セミダブルのベッド上にはクリーム色のブランケット。
朝起きたときのまま、ぐちゃぐちゃに乱れている。
頭からつま先まで広げたブランケットですっぽり覆って、そのままベッドの上
にダイブ。
男の人に抱きしめられたことは無い。父親とか兄弟とか、幼馴染の彼とかに抱
きしめられたのは子供の頃のこと。それも「抱擁」ではなく「抱っこ」。
だからこれは全てあたしの勝手な妄想。
全身を彼の匂いに覆われて、きっと彼に抱きしめられたらこんな気分になるん
だろう、そう思う。
ブランケットからはほんの少しの煙草のにおいと彼の匂い。
自分とは違う匂いに包まれて、目を閉じる。
大きく息を吸って、零れるのは甘い溜息。
いつもいつも子供扱いして、鼻で笑われる。
精一杯背伸びをしても、せがんで香水を買って貰っても、彼の中ではあたしは
妹止まり。
女として抱きしめられることはきっとこの先、一生無い。
それでもまだ、夢を見ていたい。
いつかはきっと、そんな風に。
有り得ない未来をまだ、もう少しだけ。
日付が変わるギリギリに辿り着いた自室は疲れが倍増するような錯覚に陥る
くらい乱雑だ。
玄関を開けて、直行したバスルーム。頭から水滴がまだ落ちてくる。バスタオ
ルでガシガシと拭きながらベッドに腰掛けた途端、頭を抱えたくなる。
「今日もかよ・・・」
気づいたのは少し前のことだった。
立て込んでいた仕事が少しは落ち着いて、日付が変わる前には何とか自宅へ
帰りつけるようになった頃。
始めは疲れから来る幻覚みたいな物かと思った。
ベッドに丸められた毛布から、ここには立ち入り禁止のはずの女の匂いがする。
始めは気のせいだ、と自身に言い聞かせていた。たまに、だった事が頻繁に、
今では平日はほぼ毎日となるとさすがに気のせいでは済まされない。
恨めしげに持ち上げた毛布から漂うのは、10歳も離れた幼馴染にせがまれて
誕生日に贈った香水の香り。
―愛を込めて。
なんて口に言えない想いを香水の名前でごまかして。
香水なんてまだ早い、なんて始めは子供扱いしていた。
けれどそのうちに自分が送った香りを身につける事実が、さらけ出すこともで
きない独占欲を満たすことに気が付いた。
それが、今では自分の首を自分で絞める結果になってしまっている。
気づけばこの香りは自分の中に刷り込まれて、イコールで彼女の姿が目に浮
かぶようにまでになってしまった。
まだ子供だから。
妹みたいなものだから。
そうやって言い訳をつけて自分をごまかしてきたけれど、それももう限界で。
壊れるまで抱きしめて、もう他の誰にも触らせずに、自分だけのものにしてし
まいたい。
膨れ上がる欲求を試すように、煽るように、愛しい女の香りがする毛布がベッ
ドに鎮座している。
溜息を一つついて、今日も毛布を腕の中に閉じ込める。
まるで彼女自身を抱きしめるように。
そろそろ、覚悟してもらおうかな、なんて不埒なことを考えながら。